YYラジコン倶楽部・WEB SHOP


時々更新していきます。
書いてある年号はある程度は合ってると思うけど、記憶違いも間違いもあるかと思いますのでご了承を・・・

★YYラジコン倶楽部 Histry

■2011年1月15日 大阪日本橋5丁目にオープン
オープン当時から変わった店作りをコンセプトにして開業しました。
場所は通りに面した良い場所の1階と2階で約20坪の店舗を借りてオープン。
開業予算が少ないため、当初の扱い品は中古品が中心となり。販売は委託販売、レンタルケース販売など他にはないお店でオープン致しました。
その他にも組み立てサービス、修理調整サービスなど、他店購入品でも遠慮なく持ち込めるお店をコンセプトにして、ラジコン初心者の方にも、どんどんとラジコンの楽しさを知って頂けるようにしたお店となります。また店舗2階に製作ルームを設けて組み立てサポートをしてアドバイスを行うお店も珍しかったと思います。当時の商品は一部の商品を除き、殆どが中古、アウトレット品としてメーカー、問屋、他店廃業に伴い買い取った商品を販売。レンタルケースではお客様の不要な商品を定額で預かり、委託品として販売。少し遅れてWebShopを開業運営して全国に販売する事になりました。

■2013年11月22日 移転
お店も順調に進む中、不動産屋から空き店舗に移転はどうかと打診があり、ちょうどその頃に近くでミニッツサーキットを経営していたお店が閉店する事となり検討する事に。お店からは徒歩5分程と近いが、ビルの中で外からは全く分かり難くい店舗でした。4階33坪と7階22坪にお店も分かれてしまうが、合計55坪と大きくなり、当時は余り気にする事なく移転する事を決定。7階22坪に小さいですがミニッツサーキットを同時にオープンしました。ミニッツサーキットを作る事で商品アイテムもミニッツ関係を置くようにしてお店らしくなっていった頃です。
当初は4階のお店にも初心者向けの3×6メートルの小さいコースも作りましたが、あまり利用者は居なかった。

■2016年1月 店舗内移動
ミニッツユーザーが増えて手狭になったサーキットとピットをどうするか検討した結果、お店とサーキットのフロアーを変更する事にしました。サーキットが大きくなり、お店の面積が小さくなりましたが、店内レイアウトを考え問題をクリアーしました。

■YYラジコン・ヤフーオークションストアーオープン

■2019年2月末 日本橋店舗閉店
18年夏頃に急なビルオーナー変更に伴い、家賃値上げ3倍で揉め、他のビル入居者等も個々に移転するかで悩み始める。
出ていく会社もあれば、同様に残る考えの方も居て僕も悩む、しかしサーキットも含めると費用が掛かっているし簡単に別の店舗に移転は出来ない。また代わりの店舗も近くには無かった。
最終的に弁護士を通し、お互い話し合いの上で先に移転に合意したが、やはり直ぐに移転先が見つからず19年2月までギリギリで現在の堺店舗が決まる綱渡りの状態でした。

■2019年3月15日 堺店舗&堺サーキットオープン
新しい現在の店舗は98坪1フロアーと利便性も良く、無料駐車場も350台と堺市(南大阪)最大のラジコン店として最スタート。ミニッツ関連のアイテムを増え、堺ラジコンサーキットとしてサーキットも大小5種類のサーキットを完備。
関西一のミニッツ、ミニRCの遊び場を構える。

■2021年10月 日々情報を仕入れ、考えて1/10サイズのサーキットを模索中でしたが、中々思うような場所が見つからず月日は流れます。その中でようやく場所が合致してサーキット運営を検討するようになる。
気軽に走れる電動オフロードカーサーキット思い描き、いよいよ工事着工となり、10月に仮オープン、12月頃にはある程度の規模で営業出来るようになった。店舗内商品もタミヤ製を中心に扱い品目が日々増える毎日であります。
オフロードコースは並行してクローラーコースもどんどん規模が大きくなり、西日本最大級(自称)のコースを完備。

■2022年4月
堺店、堺ラジコンサーキット、和泉オフロードサーキット運営中

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★店長思い出Histry

■1970年9月3日 愛知県豊川市で生まれる(正確には豊橋市で生まれる)
1979年9歳の時に豊川のおもちゃ屋さん(サニーランド)で兄貴が購入したタミヤ製ポルシェ934を走らせてラジコンデビュー兄貴以上にはまり、ほとんど僕が走らせていた程、毎日学校から帰ると充電が終わったバッテリーを無くなるまで家の前の道路で走らせていた。以降ラジコンに親が呆れるほどに心配するほどハマる。

■その為かしっかり高校には行けず、技術家庭は得意だからと担任が一年間だけの工業系専門学校の試験を受けさせ、一応合格し取り合えず専門学校に行った。機械は好きだったので学校は楽しかった。毎日自転車で10キロ位走って行った。
この頃、夜は滑るゴーカート場でバイトしてたので月に6〜7万ぐらい稼いでラジコン費用に充ててた。

■当然だが卒業前に取ってはいけない原付免許を友人たちと取りに行き1回目は落ちた。2回目はちゃんと勉強してから行き合格。直ぐにスズキ製カーナF3でスクーターデビュー、就職後はミッション車が欲しくなりホンダNS50F(赤)を新車購入、専門学校の友人達と蔵王山や本宮山に良く走りに行った。でも・・ビビッて攻めれないので走ってる、ヒザすってる感じだけを堪能。

■卒業後は地元の100人ぐらいのプレス会社に就職、はじめ簡単な作業しかさせてもらえなかった。しかし生意気にも自分に自信があったので単純な作業は嫌だという事で部署を変えてもらったが、与えられた一日分の作業を半日で終わらせ後はボ〜と過ごす毎日。それだけやって上に言っても中途半端な学歴では中々やりたい仕事をさせてもらえず結局辞めようと思い、他の会社の面接に行き、地元に工場がある鋳物系工作機メーカー(2000人ぐらい)に面接時に直ぐ『何時から来れる?』と言われ運良く転職先が決まったので、一応礼儀として会社に辞めますと伝え、年末近くだったから年末に辞め、正月明けから心機一転しました。新しい就職先はライン作業では無く毎日一点物の部品を様々な材料から図面見ながら加工するのが楽しかった。
僕はこ小型部品加工の部署に配置が決まり、小型汎用旋盤をメインに大きくても300mmぐらいのサイズの部品加工をしてました。結構100分台の精度を出すのが楽しかった。時に1000分台もあり、仕事のやりがいはあったので自分でも頑張ったと思う。

■18歳と2日目に車の免許を取ってシビック25Iを中古で購入。
内気な僕は中古モータースさんスズキ系(親父がお世話になってる店)家の裏にあり近所。だからカーナも薦められた。
ホントは白の25Siが欲しかった。一応事前に希望を伝えたが、既に赤いシビックがモータースに来ていた。見に行くと洗車してて何も言えずにそのまま購入する事に・・・確か総額80万だった思う。意見が言えない自分が悔しい。

■車があるとラジコンレースも地元レースと遠征も増え、豊川から毎月名古屋にあるホビーショップRC-1に電動オフとエンジンオフと月2回通うようになる。そして年一の全日本も挑戦しつつ、その間も様々なラジコンを楽しみ、陸海空と制覇、自他共に認めるほどラジコンを楽しむようになる。

■車の免許を取った後に直ぐに中型2輪免許を取った(学科が免除だったので)バイクブームもありレプリカが流行っていた。僕もVFR400R(NC30)赤白のトリコロールカラーを購入、この頃は夜勤もしていて結構ボーナスも良かったので貯め込んでたのでバイクとブーツ、ヘルメットをキャッシュで購入。バイク屋のおかみさんもちょっとびっくりしてた。
もっとビックリさせたのが、納車して帰る時にバイク屋のガレージから5メートル走って、前の道に出て止まったら立ちコケ・・・お店の方々に助けられ、恥ずかしい思い出となった。(幸い傷は浅かった)

■バイクとラジコンを同時進行。毎週末バイクでツーリング行くかラジコンレース行くかのどっちかのようになる。当時、豊川にはラジコンサーキットも無いので普段のラジコン練習は河川敷で走らせる程度。ぶっつけ本番でレースが練習となる。

■峠はビビッて走れないのでミニバイクレースに参加するようになる。
中古でNSR50(シードカラー)を購入してミニバイクレースに参加。やはり地元はサーキットは少なく僕は当時静岡県湖西市にあったジャック浜名湖が一番近く、バイク屋の方も走りに行ってたので参加してた。同時にバイクも運ぶのと家でメンテ出来ないのでシビックを手放し、マツダのボンゴを購入、トランポ&保管&整備場所代わりに使ってた。もちろんラジコンのレースにもボンゴで行ってた。ミニバイクレースはめっちゃ遅く、ドンガメと言われるほどでした。他にも岡崎にある自動車教習所内でのレースにも参加したり、一番の思い出は鈴鹿南サーキットが出来てレースにも参加した。でもバイクでサーキット走行は楽しかった。

■段々とバイクはレースよりツーリングが多くなりVFRを手放し、CB400SF(赤)にチェンジ、オフ車も友人から譲ってもらい4ストXLL250を林道を楽しんだ。

■ラジコンは相変わらず毎週のように何処かで走らせていたが、ある時友人からサーパント製スプリントの未走行を購入。
これで1/8レーシングに火が付いた。以降はレースHistryに続く。

■勢い余って仕事を辞めてラジコン店オープン
約6坪の店舗でラジコン店オープン、親には仕事を辞めた事を内緒で話を進めて事後報告。

■大阪に来てラジコンパーツの開発を行うサードパーティーを設立

■YYラジコン倶楽部をオープン

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★ラジコン Histry

■小学生の時にラジコンにハマり出してから、最初に購入したおもちゃ屋さんのサニーランドとは別に、直ぐ近所に模型店がある事を知る。それが当時姫街道沿いにあったMS模型でした。家から歩いて5分程度、そこはラジコンカー、飛行機、ヘリコプター、ボート、プラモデル、鉄道もあったかな?失礼ながら小さなお店でしたが店の中はギッシリと商品がつまっていて、まるで夢のようなお店でした。家は多少は裕福だったのかも知れない。職人気質バンバンの大工の親父に、専業のお母さん、勤めてたおばあちゃん達がラジコンを買ってくれた。特におばあちゃんはいっぱい買ってくれた。
次に購入したのはタミヤ製JPSロータスのF-1カーでした。走行場所も家の前から移り変わり、小学校横には中学校のテニスコートがあり、そこでよく走らせるようになった。(当時は何も言われなかった)
豊川市文化会館の駐車場でもMS模型に集まる社会人の人が休みには一杯集まって走らせてた。電動カーからエンジンカー、無論その当時は中には入れなかったが外から見て楽しんでた。

■中学生の頃には京商製プラズマを買ってもらった。プロポはダッシュだ、お年玉でバッテリーとモーターを購入した覚えがある。しかしタイヤが減るので余りガンガンと走らせる事は出来なかった。パーツを買うお金が無いからお小遣いはタイヤ代で消えた。それでも時折友達たちとレースもどきもした。
そのころはラジコンブームでもあり、クラスメートにもラジコンカーを持ってる男の子は一割ぐらいは居たと思う。一学年で240人位いたからそんな感じかな。当時は毎日、学校から帰るとお店に行っては、お店のおばちゃんと話してた。
MS模型は昼はおばちゃん、夜はご主人がやってた。気さくで良いご夫婦で色々と面倒を見てくれた。MS模型閉店後から数年が立ち・・・後に僕がお店出す時も来てくれた。
この頃、MS模型でもレースはしてたが余り本格的では無かった、お客さんと楽しむのがメインのレースでしたが何回か参加した。開催場所も毎回変わるけどエンジンバギーだったり電動カーだったりと気軽に遊べた。

■オフロードブームが来た感じでグラスホッパー、マイティーフロッグが大人気!
お店にはキットが足りないと言うほどだったみたい。当時の思い出で、他のおもちゃ屋さんに一台有ったよって話したら、現金渡されて買ってきてって言われたほど・・・直ぐに自転車で買ってきて、お店で売っても同じ値段だから全く利益は出ない位は中学生の僕でも分かる。しかもお駄賃でアイスやパンをくれたから、結果的には赤字だけど売る事が大事なんだって言ってたのを何気に覚えている。

■その頃からお店に入り浸ってたから問屋のおっちゃん(当時は車で毎週配達してた)にも顔を覚えられるほど入り浸ってた。
しかしMS模型も色々あって閉店する事になる。もちろん詳しい事は知らないが、僕にとっては残念でした。しかしご夫婦の年齢もあり仕方ない事でしたね。

■同じ市内にもっと沢山の商品があり、マニア心をくすぐるお店があった。それがトヨカワホビーなのだ。
続く・・・


■1986年に初のJMRCA全日本選手権・電動オフロードカーに挑戦
1/10電動オフロードカー全日本選手権に4WDクラスに挑戦、マシンはオプティマ、1次予選は地元トヨカワホビー主催で難なく通過、2次予選は半田市にあった、まちだサーキットで開催、無事に2次予選も通過するが2次予選で地元クラブ員(Fox)での通過者は僕ともう一人だけで他は皆予選通過ならず、トヨカワホビー店主も通過ならず、3次予選に参加するのは結局僕だけとなり。名古屋市で開催される3次予選は守山区にあったRTQサーキット(シンナゴヤ)で開催だが一人で行ける事無く、父親に難とか頼んで連れて行ってもらった。
もちろん事前の練習は一度もなく、ぶっつけ本番でしたが、予選最終ヒートではタイム的にギリギリ通過出来そうなタイムで走行でしたが途中ワンミスでタイロッドが外れマーシャルが直して再走行したが撃沈。総合結果35位だったと思う。25名の枠に入れず残念ながら予選落ち。
千葉で開催のフタバサーキットに行きたかった・・・でも通過しても多分一人では行けなかったと思う。

その後も88年か89年までは予選会に参加してたけど毎年最終予選会(ミワホビーサーキット)までは行けるが、激戦の中京地区では店長のレベルでは一回も地区予選は通過しなかった。
その後は1/8エンジンオフロードにハマり出す。

■1988年 1/8エンジンオフロード全日本選手権に初出場
中京地区予選をクリヤーして大阪生駒で開催のJMRCA全日本選手権に初めて参加する事が出来た(ホントに嬉しかった)
全日本はトヨカワホビー店主ともう一人個性あるクラブ員の3人と一緒に大阪に初遠征、初めて泊りで3日もラジコンレースしたのは初めてでした。
肝心のレースは終始ノーコン病に悩み、結果は88位でしたが楽しかった。帰りに優勝した京商チームの祝勝会にもトヨカワホビー店主のおかげで貴重な祝勝会に参加出来ちゃった。この時の優勝は同じ中京地区から参加のワークスドライバー近藤勝則選手でした。
翌年、フタババギートラクトで開催の全日本、中京予選は無事通過したが地元クラブ員は他に予選通過できず、結果一人での参加は難しいと思い断念、やはり千葉は遠かった・・・

■その後も全日本参加を楽しみに地元のクラブレースを中心に参加しながら、自分を磨こうと積極的に遠征レースにも行きました。1/8バギーマシンは京商製インテグラプレスト/バーンズ/ターボバーンズ/インファーノ/ターボインファーノと正常進化でしたMP5が発売した年はマシン進化せずターボインファーノで1996年参加最後となった全日本(長野)が最後となる。
途中、いつしか憧れの1/8レーシングに手を出していまい、更にドップリとハマってしまった。

■続く・・・